人が人の生命を奪う、人はペットの命を護る・・・・アプリシエイション
第一目標は小倉であったが曇り空の為、急遽第二目標の長崎へ投下された原子爆弾
一瞬にした7万4千人の生命が・・・日本の政党の中に核兵器を持つのが一番安上がり
と言った政党があるのは残念な国になってしまうのだろうか・・・
昭和20年8月9日午前11時2分。
原爆搭載機ボックス・カー号(機長チャールス・スウィーニー少佐25歳)
は、高度9,600メートルの上空から第二号の原子爆弾(プルトニウム爆弾)を
長崎に投下した。彼の手記によると、長崎の市街も、第一爆撃目標都市小倉と
同じく雲におおわれていた。スウィーニーはレーダーによる爆弾投下もやむな
し、と決断していた。すでに燃料は沖縄基地までようやくという状態に欠乏し、
爆撃航路ただ1回分だけが残っているに過ぎなかった。示された照準点への爆弾
投下まであと30秒、トーン・シグナルが作動し、爆弾倉の扉が音をたてて開いた。
あと25秒。そのとき、はからずも爆撃手ビーハンの目に雲の切れ間から市街の
一部がわずかに見えた。そこは、三菱グランド(浜口町)から三菱製鋼所、
同兵器製作所(茂里町)にかけての中間地帯だった。爆弾の投下は目視爆撃で
行えということが示された重要命令だった。そこで、ここが急遽投弾目標となった。
爆発は、目標地帯からおよそ5~600メートル北方にそれて、松山町171番地
のテニスコートの上空で起こった。(通称爆心地公園の上空)