またいつか逢えるからねと良く頑張った子達に・・・・アプリシエイション

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三月も半ばになりました。

黒猫の女の子をお連れいただきました。

長野市南県町のマンションで過ごしていた「花ちゃん」は、来週19歳を迎える

女の子でした。今日は飼い主のご婦人と車を運転されてきた友人とお二人での見送り・・

目が中々閉じなくてと・・ちょっと虚ろに開いた目を気にされて・・・お顔をずっと

見ていたかったから閉じなかったんですねと・・・泣き崩れそうになるご家族様を

ご友人が支えながらのお別れでした。(自然死・スマホ検索)

 

長野市若槻東条のリピ-タ-様でした。

柴犬系の女の子「コッキ-ちゃん」は、17歳5か月と頑張った子でした。

今日の昼前にご家族様に看取られての旅たちになられたようです。ご夫妻で車に

乗せてお連れになられて・・・・火葬炉に寝かされた子を撫でながら・・

5年前の4月に旅立っていったケイちゃんの待っている虹の橋へと・・・

青空に向かって昇るご長寿の子を見送られていました。(自然死・リピ-タ-様)

 

 

 

 

 

愛するペットとの別れ、飼い主はどう受け入れたら? 供養を行う寺の住職に聞く

 

飼っていた猫(メス)が昨年末、虹の橋を渡った。19歳10カ月と長寿だった。彼女の最期に立ち会えたことは飼い主、いや「飼いしもべ」としてよかったと今でも思う。

このあとどうすれば?

亡骸(なきがら)を愛用のベッドに横たえ、花を供えてから、ふと思った。このあとど

うすればいいんだろう? 「もう永くはない」とわかってからも、その後のことを調べた

り準備したりするのは彼女に悪い気がして、何もしていなかったのだ。  かかりつけの

動物病院に相談すると、ペットの火葬や供養をしてくれるお寺を紹介された。電話をかけ

ると予約が入っていて「3日後なら」とのことだった。そのまま亡骸とともに数日暮らす

のは、悲しみが増すばかりに思えた。急きょネットで見つけたのが、K寺(東京都世田

谷区)だった。  翌日、寺が提携している火葬場で荼毘(だび)にふした。遺骨は持ち

帰った。妻と相談し、後日、寺で供養してもらい、合同埋葬してもらうことにした。家が

もう少し広かったり、庭があったりすれば、埋葬や部屋の一画に安置する選択をしていた

かもしれない。  K寺でお経をあげてもらい、埋葬に立ち会うと、なぜかほっとし

た。  読経のあと、住職さんが「極楽浄土にいったペットたちは、こちら(現世)を

見たり行き来したりできます。我われが気づかないだけで、そばに来てくれているかも

しれません」という話をされたのもあったのだろう。

だが、考えてみればK寺は浄土宗で、筆者の実家とは宗派が異なる。いま暮らしてい

るマンションには仏壇すらない。それでも一種の安心感があったのはなぜだろう。飼い主

はペットとの別れをどう受け入れるべきなのか。住職にあらためて話を聞いた。

「お葬式は待ち合わせのための儀式」

 

「仏教には『やらなければいけないこと』はない」と住職はいう

 

K寺は、2002年ごろからペットの供養を始めた。ある朝、門前に新聞紙にくるんだ猫

の亡骸が置いてあったことや、「カメを埋葬したい」という親子が訪れたことなどがきっ

かけだったという。犬、猫のほか、フェレットなどの小動物や鳥も供養する。  具体的

な件数は把握していないとのことだが、筆者が供養してもらった時は、うちの猫のほかに

20匹以上のペットの名前が読み上げられた。 住職はペットの供養を「待ち合わせの儀

式」だという。供養によってペットは極楽浄土にいく。仏教(浄土宗など)では飼い主も

いずれ極楽浄土にいくので、「いつかそちらで会いましょう」ということになる。

「宗派や宗教が異なってもご供養することは問題ありません。当寺の儀式作法は、

『この世のお気持ち』を来世にいった子に送るものですので、『その子』のためになりま

す」(住職)  住職自身、飼っていた猫を2頭、病気で亡くしている。一時はペッ

トロスのような状態になり、泣くに泣けないまま頭痛ばかりがひどくなった。しかし今で

は「彼らの向こうでの姿を想像しながら過ごしています」という。 「向こう(極楽浄

土)から見てくれている、ときどき来てくれているという実感があれば、何もわからない

よりはよいと思います。亡くなったあともつながりを感じられる場面があるということで

すからね」(同)  一方で、ペット供養の「現実的な意味合い」として次のように語る。 「人間と同じようにご供養することで、『家族と同じように送ったんだ』という安

心感はあると思います。今は(ペット供養について)『自分たちなりの方法で』とおっし

ゃる方も多いんですけど、あとになって『あれでよかったのか』と不安を抱いてご供養に

いらっしゃる方もいます。宗教のことなので難しいですけど、お嫌じゃなければご先祖と

同じようなやり方でお送りしておいたらよいのではと思います」  ただ、お経をあげて

供養しなければならないということでもないと住職はいう。  仏教の考えでは、ペット

と飼い主は「縁」が強いため、ともに生まれ変わった場合でも親子であったり、ペットと

飼い主であったりといった関係性で出会うことがあるのだという。ただその場合、お互い

にすでに知った仲であると認識できない。それもそれでいいかもなとも思う。また彼女

(うちの猫)と出会う喜びがありそうだ。

「亡くなったんだな」という思いかみしめた

彼女の供養から約1カ月が経った。自分はペットを失ったことによる悲しみを乗り越え

ることができたようだ。これは寺で供養してもらったことが大きいと思う。ひとつ

は、悲しみを和らげてもらい、その一部をお寺に担ってもらったように感じたからだ。

  そしてもうひとつは、「確認」できたからではないだろうか。火葬、供養、埋葬とい

う過程のひとつひとつで、「ああ、この子は亡くなったんだな」という思いをかみしめ

た。  ペットとの別れにおいては、どんな方法をとるにしても、こうした「確認」、

いわば自分に言い聞かせることが重要なのだろう。