晴天の彼岸入りの空へとたびたって・・・・アプリシエイション

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今日は春のお彼岸入りになりました。昨夜の雪が今朝は残ってはいましたが晴天になりあっと言う間に

消え去っていきました。真っ青な空を銀色の機体が西から東へと帯雲を残して飛んでいました。

 

長野市南堀のパピヨン一家のご葬儀です。

2016年の2月に15歳の善次郎ちゃんを送られ昨年の12月にマリンちゃんを送られたご家族様が

3回目のご葬儀でお連れいただいたのは10才9カ月の「リザちゃん」自宅で産まれてからずっと育てて

来られた女の子でした。10頭を越すパピヨンを飼われているようです。今日のリザちゃんは姉妹で産まれた

モナちゃんにお別れをされて来られました。命名はモナ&リザのようです。

肺炎を起こしてしまったそうで、気づくのが遅れてしまってと言われて・・

母親はとっても元気なのにと・・・

いくらたくさんの子達が居ても僅か三カ月前に送られたばかりでと泪を浮かべられて・・

晴天の彼岸の入りの空へと小さな体でのぼっていく姿を見送られていました。(自然死・リピ-タ-様)

 

友人のペットが死んだときに言うべきこと

あなたが心配して何か質問すること自体が正しいことをしている。友人のところに行って彼らのそばに

いてやる。ときに動物を失った人は、普段は友好的な人々にも疎外されていると感じるようなつらい経験を

する。悲嘆に暮れているときには非常に大きな困惑や困難があるように見えるので、避けることが一番簡単

だと思われる(しかし、すでに孤独で傷つきやすくなっている人にとってはつらいものである)

最も重要なことは、そばにいて話を聞き、何度も何度も同じ話を繰り返し聞く覚悟でいること。

話をすることは気分の浄化となり、あなたが注目し感情移入することによって話しやすくなる。もし

質問されれば自分の経験を少し話しても良いが、自分の個人的な死別のことを長々と話す事はさける・・

その時間は彼らのためのものであり、あなたは彼らの話を聞くのであってあなたの話を聞いてもらうので

はないからである。時々「心配しないで、すぐよくなるから」や「時間が経てば忘れるよ」と言いたく

なるがこれは役に立つとは限らない。傷ついているときにはこの言葉は「気にするな」のように聞こえて

しまう。彼らは気にしているのであり、自分たちの苦しみをわかってもらいたいのである。この苦しみは

誰かが彼らを元気づけようとしても少なくはならない。

 

私たち一人一人が悲しみに対処する方法も異なる。そのことを話したがらない人もいるが、それは尊重

しなければならない。ある場合には、「つらかったと思うよ」の一言が相手に対する思いやりを示すのに

十分であり、それ以上言う必要はない。あるときは抱きしめることが適切である。ときにはあなたの腕の中

で思いきり泣きたいと思う人もいるでしょう。各人の特別な要求に敏感となり「臨機応変」に対応する。

あなたの友人が罪の意識をもっていれば、これはペットの飼主に共通した問題であってあなただけでは

無いことを確信させる。ペットが生きている時に完全に責任を持っているために、死亡に対しても責任を

(そして罪の意識を)感じるのである。何を行ってもあるいは行わなかったとしても人々はやはり自分に対し

て何かを責める。何度も何度も「もし・・・であれば」という思いが出てきて、あたかも時間を元に戻して

話の結末を変えられたかのように、死を受け入れるのを妨げることがある。

悲嘆の一部として怒りを経験することも普通である。誰かが意図的に傷つけたことで怒りが正当化されること

もあるが、往々にして悪意なしに何か行ったり言ったことに過剰に反応されることがある。怒りはまた不正や

不信について総括的なものになることもある。怒りは同居家族に対して、獣医師、近所の動物、食べ物

環境等様々なことが・・・

怒りを理解し、死別の後にはしばしば経験されるものであるということを認識することが、

広い観点からものをみるのに役立つ。