家族で初めて飼ったペットちゃんでした。
長野市内の兎さんを見送りに、ご家族で弊社までお連れいただきました。
ネザ-ランドワ-プの愛兎「諒太ちやん」5歳でした。
ご家族4人でお見えになり、喪主のお嬢様が弔辞を御読みになりました。
一緒にお聴きしていた、私も思わず涙がこみ上げてきました。弔辞も一緒に火葬炉に入りました。
弔辞の原文を頂きましたのでご紹介をさせていただきます。ご家族離れていらっしゃる中で
今回、急遽皆様がお揃いになり、見送りとなりました。
弔辞↓
「27日0時すぎ。
飼っていた愛兎、諒太が息を引き取りました。
5歳の男の子でした。オレンジのネザーランドドワーフ。
小柄の、小さい耳の。ひょうきんな。とっても可愛い子。
突然のことでした。
夕方までは普通だったのに。
朝まではごはんも食べていたのに。
本当に突然でした。
じゅりと二人で東京で暮らしていた時に飼い始めたりょうちゃん。
私が、仕事とか私生活とか色々あって、
寂しさを埋めたい、可愛いお友達がほしいと思って飼い始めた子。
茶色い小さな三兄弟の中の一匹。うさぎを飼おうと思った時。
北長池の綿半で。初めて出会って。
この子がいいなーと一目で思って。我慢できずに、またすぐ迎えにいったんだ。
初めてうちに来た時は、ケージから出れずに震えておしっこもらしてた。
小さい頃はパーカーのポケットに入るのが大好きだった。
じゅりのふわふわのファーのパーカー。お母さんの毛みたいなのかな?甘えん坊だねって笑ったな。
初めりょうちゃんは、じゅりのふわふわの(!?)お腹に乗るのが大好きで。
私には撫でさせてもくれないで、私はそれが悲しくていらいらして、お母さんに電話し
たりもした。今思えば、育児に悩む母みたいだね。
でもだんだん慣れてきて、私にも撫でられるようになって。
(やっぱりじゅりのお腹が好きだけど)
私とじゅりとりょうちゃん、なかよく三匹暮らしをしてた。
丈夫な子でお医者にかかったのは、
目に傷がついちゃったときと、
いたずらでペットシーツを食べた時くらい。
東京と地元長野の往復も何度だってした。新幹線でも車でも!
環境が変わると死んでしまったりするうさぎさんが多い中、
りょうちゃんはなんなく移動を繰り返してた。(震えて可哀相だったけど…あとで撫でてあげればすっかり落ち着いてた)
すごいねりょうちゃん!ってみんな言ってたよ。
長野に連れて帰る度、
お父さんなんて、治療室にりょうちゃん連れてってたもんね。御自慢の子。
孫ができたらこんな風になりそうって想像がついたくらい!(笑)
東京ではよく御炬燵にも人間のようにあたってた。
身体半分だけひょっこり出して、ね。
じゅりの友達が初めてその光景発見してびっくりしたんだっけ。「人間!?」って。
それくらい、人間ぽかったよね。
自分のこと、うさぎだって分かって無かったんじゃないかな。
お姉ちゃんたちと同じ人間だ―ってそう思ってたよね、きっと。
東京に居る間は、私もじゅりも忙しくて、朝早く、夜遅く。
朝起きると、私が電気をつけたときにパチって目覚めて、ケージの端に駆け寄ってきて「ごはん!」って立ちあがるりょうちゃん、可愛すぎたよ!
日中はごはんも満足にあげられなかったかな…。他のうさちゃんよりも小柄だったのはそのせいかもしれないね。ごめんね。
でも元気いっぱいい跳ねまわって、たまにじゅりの部屋で迷子になったり。
なかなかケージに入らなくて怒られたり。
本当にやんちゃだったね。
楽しそうだった。
リラックスしてバタッてなるの、最初はそんなうさぎの習性知らなくてびっくりして動物病院に電話してしまったこともあったんだよ!
洗濯物とレースが大好き!女の子みたい!?おネエ系うさぎ!?ってよく笑った。
それでもやさしいりょうちゃんは、私が仕事で凹んで泣いていたら、ぺろぺろ手をなめてくれた。
頑張り屋のりょうちゃんは、夏の東京の暑さも乗り切ってくれた。
長期休暇で長野に帰った時は。待遇の良さか、気候の良さか、東京に帰りたがらなかったね。
おいしいごはんはたくさんだし、お父さんもお母さんもいるし!寂しくないもん。
ケージの中での精いっぱいの抵抗「帰りたくない!」うさぎパンチは忘れられないよ。
そんな中、2年半たって、私が長野に戻ることになった。
りょうちゃんも環境が一変したね。
常に誰かがいる生活。ごはんもたくさんの生活。
大好きなお父さんに撫でてもらう生活。
朝起きればお母さんがおはようっていってくれる生活。
じゅりお姉ちゃんとはあまり会えなくなっちゃった。
私も、他の家族がいる安心感からか、りょうちゃんに前ほど構ってあげなくなってしまったね。ごめんね……。
もっと運動させてあげれば良かった。もっと新鮮なごはん食べさせてあげれば良かった。もっと目を配れば良かった。もっと、もっと……。
りょうちゃんがいなくなった今、ありがとうの気持ちと共にたくさんの自省の気持ちが溢れだしてとまりません。
でもりょうちゃんはみんなのアイドルだった。
おばあちゃんふたりもりょうちゃんのことが大好き!
かわいいかわいいって言ってくれた。
あーちゃんなんか、お泊まりのとき預かってもくれた。新聞紙ひいて走り回って良いよって。嬉しかったね。
長野に住めるようになって、良かったよね。
少なくとも私はそう思ってる。
一緒にお嫁入りするまで生きて欲しかった。
お母さんなんて、私が嫁にいくときりょうちゃんどうしようって悩んでたんだって。
思い出すのは。
廊下で腹ばいで涼んでたりょうちゃん。
お座敷の椅子の上で下で、もふもふしてたりょうちゃん。
走り回ったりょうちゃん。ひねりうさぎ跳びはすごかったよね。
リラックスしたときは歯をかちかち。
ごはんがほしいときはスヌーピーのお皿を投げて誰かを呼ぶ。
立ちあがって、視線攻撃でみんなを呼ぶ!
ほんとうに人間みたいな表情豊かなりょうちゃんだった。
お父さんのあたたかい手が大好きだったね。
撫でてもらうの大好きだったね。撫でて欲しい時はよってきて、頭をすりすり手にすりつけてくるんだ。
クッキー大好き!果物大好き!野菜も大好き!
大好きなもの、たくさんだったね。
長野に来たら、思いがけずに御炬燵禁止令があったり。
なかなかケージの外にでれなかったり。遊んでもらえなかったり。
思うようにいかないこともあったかもしれない。本当にごめんね。
でもたくさんお家をかじって!
お父さんのバッグもかじって!私のフルラのバッグもかじって!
大切な資料もおしっこで汚しちゃった!
でも毎日必ずりょうちゃんの話題は上って。みんな笑顔だった。
「おばかりょう!」なんて言ったりしたけど。みんなみんな大好きなりょうちゃんだった。
テレビでうさぎが映っても「りょうちゃんの方が可愛い!」が決まり文句だったね。
うさちゃんジャニーズに入れたい!ペッタレにしたいなんてお母さんなんて半ば本気だったんだよ。でも気まぐれうさぎだから、だめだろうけどね。
――大好きだった。大好きだったのに。
少しずつ年齢とともに衰えてきてるのは分かってた。
いつかは…って時がくるのも分かってた。
元気がなくなってきてるし、ごはんも少なくなったり。
うさぎも寿命5から7年…なんて言われてるけど。
でもりょうちゃんは大丈夫なんだからってどこか思ってた。
馬鹿だね。
でも信じたかった。
何もしないで信じるも何もないよとも思うけど。
もっと気を配れば良かった。
夏に体調を崩して病院にかかったときも、すぐに回復したから大丈夫だと思ってた。
今週も。少し食いが悪くなった時点ですぐ病院にいけばよかった。
大好きなキャベツを少しあげたらもりもり食べるから。
元気になったと思ってた。ごめんね、ごめんね……。
でも最後に、大好きなものをたくさんたくさん食べられたんだなって思うとよかった。目を輝かせて食べてたから。嬉しそうだったから。
病院でキャベツは少し止めた方がいいと言われて、最近あげていた青梗菜、すごく嫌そうに食べてたから。。。
最後まで手のかからない飼い主思いのりょうちゃんだった。
夕方まで普通にしてたのに、夜、なんだか隅っこに行き始めて私たちが近づくのも嫌がって。
なんか機嫌わるいのかな?くらいに思ってた。朝はごはんもキャベツも青梗菜も食べてたから。
それが夜、急変。本当に思いもしなかった。
いきなり体温が下がって。お薬は飲んだけれども。
お父さんの腕の中で、だんだんゆっくりと眠るように息を引き取った。
土曜夜間診療してくれる動物病院を必死に探しまわって、市内じゅうに電話して。何処も出なくて。近所の動物病院の自宅に深夜になりふり構わず、インターホンならしてドアを叩いて。それでも出てもらえなくて、途方に暮れて帰って来た私を一目見て。
息を引き取った。
最期は御炬燵であったまりながら。
お父さん、お母さん、私に看取られて。
私と父が奔走していた時。最期に御炬燵で、何度かぴょんぴょんって跳ねたんだって。お母さんが言ってた。
眠るように。本当に眠るように息を引き取った。
だんだん、動かなくなった。
抱っこが嫌いで、こんな最期の時だけ、私の腕に抱っこされたりょうちゃん。
私の知っているはずのりょうちゃんのあったかさじゃなくて。
冷たかった。
まだ、信じられないよ。
じゅりに電話したら、なかなか出なくて。メールをしておいたら、びっくりして電話がかかってきて。電話口で泣いてた。朝イチで新幹線でお別れ告げに来てくれるんだ。
みんな、りょうちゃんのことは家族だからね。
突然すぎて。びっくりしすぎて。悲しいのか何なのかもわからない。
私感情が無いのかなって思うくらい、最初はわけがわからなかった。
でも、だんだん、じわじわ、悲しい。辛い。
明日からどうなっちゃうんだろうって思う位に。
でも、しっかり受け止めなくちゃいけない。
大丈夫、わかってるからね。
でも。寂しいよ、りょうちゃん。
ねえ、寂しいよ。
だけど。
最期はみんなで看取れてよかった。
大好きなごはんをさいごにたくさん食べられてよかった。
朝まで交替で看病して動物病院行こうと思ったのに、朝までの闘いを覚悟したのに。
「みんな、もういいんだよ」とばかりに深夜にひっそり息をひきとって。
そんなところまでお利口じゃなくていいのに。
わがままギャングのりょうちゃんでいいのに。
甘えん坊のりょうちゃんでいいのに。
大好きだったよ。
そしてこれからもずっとずっと大好きだよ。
お月さまにいっても美味しいキャベツをたくさん食べてたくさん飛び跳ねてね。
わたしたちのことを見守っていてね。
悲しいよ。
もうすぐ朝が来るのに――眠れないよ。
悲しいよ。寂しいよ。
でも、忘れないよ。
小さくてかっこよく立った耳も。
ぷっくりした白いお腹も。
さらさらの毛並みも。
ぺろぺろなめてくれた小さな舌のあたたかさも。
怒った顔も。笑った顔も。泣きそうな顔も。やんちゃな顔も。
みんなみんな。
ずっと、ずーっと忘れないよ。
ありがとう。本当にありがとう。
ゆっくり、おやすみ。
楽しい毎日を本当にありがとう。
かけがえのないものを、わたしたちにくれて。
本当にありがとう。私たち4人にとっての初めてのペット。
私たちの家族になってくれてありがとう。
ありがとう、さようなら、りょうちゃん。
2011.11.27 未明 あんりより
」